誰にでも訪れる「死」。この世に誕生する喜びと対照的に捉えられがちだが、人生の重大な節目である。
その「死」を、ただ悲しく心暗くなるものではなく、死をも希望に変えるキリストの福音の場と捉え、そのサポートをしている墓石・葬儀業「復活社」塚田喜一代表に話を聞いた。

塚田氏が復活社を立ち上げたのは2001年のことだった。
「葬儀の料金は、お花や棺、様々なセッティング、サービスをトータルして請求するため会計が不明朗になりがちです。
そのような不満に応えることのできる葬儀社として設立しました」遺族の要望に応えるのは、もちろん会計面だけではない。
NPO全国葬送支援協議会に認証され、「葬送の自由」という観点からも、キリスト教葬儀をサポートしている。
「故人がどのような葬儀を望んでいたのか、また家族としてどのように送りたいのか、最大限意向を尊重して、お墓や葬儀のお手伝いをします」。
維済的な困難を抱え、葬儀費をかけられない人も多くいる。そういうケースにも対応し、低額葬儀や小規模葬儀も手がける。

会社を立ち上げて2年後、塚田さんの友人の妻が病気で召された。教会墓地がない上に、お金もほとんどないという。 「さすがにお金がほとんどないとお墓は造れないです。しかし、そこで神様が知恵を授けてくださいました。」
その人が所属する教団に教団として墓地を持つことを提案した。
そうすることで1人あたりの負担を軽減したのだ。信徒にDMを送り、維済事情に合わせてl年から2年で13万円を積み立て、完済すると証明書を発行されるシステム。
これに100人の応募があり、金銭面の問題が解けた。
「霊園の高台にお墓が建てられて、生前に彼女が毎朝見ていた筑波山も望める、絶景の場所にお墓が建てられました」。
毎年、その墓地の前で墓前礼拝をしているという。

またユニークな墓地には、墓園でなく庭先に建てたものもある。庭先に墓地?と疑問に思う人もいるだろうが、91年に散骨(自然葬)に関して法務省、厚生省(現・厚生労働省)ともに法的に問題がないとの見解を示している。
「その方は長年、教諭をしていて社会的には高く評価されていましたが、家族との関係がこじれていました。
クリスチャンの娘さんの献身的な看病や聖書の言葉に心を開き、亡くなるlか月半前に『自分は迷える子羊だ』と、イエス様を受け入れて洗礼を受けました」
塚田さんは、当時入院していたその人と、家族を交えて葬儀や墓石の話を進めました。
時には笑い声も聞こえるような会話に、医師も看護師も驚き、様子を見に来たという。
「キリスト教は、死をこんなにも明るく語れるのかと、皆さんびっくりしたようです」 亡くなって3年、娘さんに話を聞くと、「お寺や神社信仰の強い地域の中で十字架を彫り込んだお墓が庭にあるだけでも人の目をひきます。庭に入れて見せて欲しいという人もいます。
また、クリスチャンであるとを地域の人に理解してもらえるようになりました」と、庭先に墓石があることが地域への証になっていることを語った。
そのことがきっかけで「地域のクリスチャンとの交流が生まれた」とも。

復活社には、個人のみならず教会からの依頼も多い98年に同盟基督・土浦めぐみ教会(清野勝男子牧師)が建てた納骨堂付きチャペルを改修する際、芳名板や壁面の大理石使用などの施行を手がけた。
「日本人にとって重要にもかかわらず、教会は納骨の意識が低かった。教会で骨を預かることでご家族が記念〈祈念〉会ごとに教会に来て故人は死後も伝道していることにもなるのです。葬儀や納骨堂も大切な宣教の場」という清野牧師の姿勢に塚田さんも共感している。
「毎日のように、様々な方の葬儀に携わらせていただいてます。様々なスタイル、考えはありますが、『わたしを信じるものは、死んでも生きる』、『私たちの国籍は天にあります』という聖書の言葉に遺された家族も、クリスチャンでない人も希望を見だせるのでは。
また、教派を超えて埋葬されることで改めて『キリストにある一致を思います。
仕事を通してそのような大切な場面に立ち会う喜びもあります』と、確かなやりがいを語ってくれた。
(筆/奥山みどり クリスチャン新聞2007/11/25より掲載)